ごあいさつ
はじめまして。平阪 智昭(ひらさか ともあき)と申します。
岐阜県、石川県(金沢市近辺)、富山県を中心に活動している税理士です。
人の役に立ちたいと考え、金沢大学卒業後、金沢市役所に入庁いたしましたが、ひとりひとりのお客様と深い関係を持ってサポートが出来る税理士という職業にあこがれ、公務員を辞め、税務の世界に飛び込みました。
金沢市内の税理士事務所で5年間、高山市内の税理士事務所で3年間の勤務を経て、2021年6月15日に高山市で独立開業しました。
足掛け8年間の税理士事務所勤務を通じ、強く感じているのが、会計の力です。
会計データには今後の経営に役立つ宝が埋まっています。
それを活用せず、確定申告で税金を出すためだけに計算するのは非常にもったいないことです。
特に規模の小さなお客様については、会計データを生かし切れていない場合が多いと感じています。
これまでの経験を生かし、税金の計算のみならず、会計データを活用し、お客様の経営に貢献できるよう、全力でサポートいたします。
経歴
年月日 | トピック |
1999年3月 | 岐阜県立斐太高校卒業 |
1999年4月 | 金沢大学法学部入学 |
2003年4月 | 金沢市役所入庁(固定資産税課配属) |
2008年10月 | 結婚 |
2009年4月 | 健康総務課へ異動 |
2011年7月 | 長男誕生 |
2014年4月 | 金沢市内の税理士事務所に就職 |
2014年11月 | 長女誕生 |
2018年7月 | 高山市内の税理士事務所に就職 |
2018年12月 | 次男誕生 |
2019年1月 | 税理士登録 |
2021年6月 | 平阪智昭税理士事務所 開業 |
税理士をめざしたきっかけ
就職を考えた際、誰かをサポートする仕事が向いていると考え、金沢市役所に入庁しました。
市役所は同僚にもめぐまれ、やりがいを持って業務を行っていましたが、次第に違和感を持つようになってきました。
それは、「市役所は市民全体のサポートが仕事」というところでした。
市役所の仕事の本質は市民全体をサポートすることです。つまり、ある特定のがんばっている人を応援するようなことは公平ではないのでできないということです。
それに、市役所は部署が3~5年で異動します。つまり、仕事で深くかかわったとしても、異動により強制的に関係は断たれてしまいます。
そのような現実に直面し、果たしてこのまま公務員を続けることが正解なのかと自問自答していたある日、「税理士目指してみようかな」と思うきっかけがありました。
ある日接骨院に行って治療を受けていた時に、隣のベットで治療を受けていた患者と先生との会話で
「やっぱり手に職持っている人は生き生きと働いてるよ!」
といった会話でした。
その時は、ふーん、そんなもんか・・と思ったのですが、その会話が頭から離れず、そうか、手に職を持つと生き生きと働けるのか、と考えるようになりました。
そこに自分の将来のことを考え合わせた際、「税理士だったら、お客様に継続的にサポートができるし、自分のお客様に対してサービスを提供すれば、お客様にもより喜んでもらえるな。」
と考えるようになり、税理士になろう!と決意しました。
経験してきた業務
金沢市役所退職後、最初に勤務した金沢市内の税理士事務所では、会計データの入力から確定申告、法人税申告、税務調査立ち合いまで、税理士業務のいろはを経験しました。
個人事業主様から売上規模30億円ほどの法人様まで、延べ70件ほどのお客様を担当させていただき、様々な経験をさせていただきました。
2か所目の税理士事務所では、個人事業主様から売上規模50億円ほどの法人様まで担当させていただきました。また、税理士として他の担当者の税務相談や、決算書をチェックする機会にも恵まれ、税務知識も大きく向上したと思います。
2か所の事務所で担当させていただいたお客様の業種は、小売業、卸売業、サービス業、飲食業、不動産業、医業、農業、社会福祉法人、建設業、製造業 などです。
こうした経験を踏まえ、お客様の規模が大きくなるほど、税理士の役割は経営のパートナーというよりも高度な税務判断に主軸が移っていき、経営者様との距離が遠くなるのを感じ、自分が本当にやりたいことは税理士としてお客様に寄り添い、二人三脚で事業をサポートすることだ、と思うようになり、個人事業主様や小規模事業者様に特化した、フットワークの軽い税理士事務所を運営したいと考えるようになりました。
出身、育ち
幼少期~高校時代まで
岐阜県高山市で生まれました。幼少期は非常に無鉄砲な性格だったようです。
年長の時、雪が降っているときにひとりで近所の友達の家に遊びに行った帰り道に、幅1メートルくらいの用水路に落ちたことがあります。落ちた後、用水路のわきに生えていた草を必死につかんでなんとか抜け出し、九死に一生を得たことも・・
家族で旅行に行くと必ず迷子になっていたようで、親に「首輪をつけておきたいわ」といわれたとか。(あんまり覚えていませんが)
中学から高校にかけては陸上部に所属し、100mと200mを専門に取り組んでました。その影響か、今でも走ることは大好きで、フルマラソンなどに参加しています。オリンピックや世界陸上、箱根駅伝などの陸上系スポーツ中継も毎回欠かさずチェックしてます。
大学生時代
大学は金沢大学法学部出身です。
勉強はぼちぼち、サークルと部活がメインの大学生活でした。
サークルはサイクリング部に所属していました。
名前だけ聞くとゆるい感じのサークルに思われがちですが、自転車にテントや寝袋をつんで全国を旅するような種類のサイクリングです。夏と春の休みになると、だいたい1か月くらいは旅に出ていました。
公園で寝たり、知らない人に声をかけられて家に泊めてもらったりと、度胸と行動力がついたと思います。
大学4年生のとき、暇だったので「さーて、ちょっと九州でも行ってくるか!」とノリで1週間ほど九州に自転車旅行に行ったり、富士山の近くに自転車旅行に行った際、友達と「ここまできたし、せっかくだし富士山攻めようぜ!」といって、登山の装備なしで富士山に登ったり・・(さすがに自転車でなく登山ですが。軽装過ぎて登山客に不審な目でみられましたね)
とまあ、楽しい大学生活を送りました。
金沢市役所時代
金沢市役所では、資産税課と健康総務課に所属してました。
大学から新卒で金沢市役所に入庁したわけですが、資産税課に配属された最初の日、教育係の上司に「最初の仕事は職場のみんなと仲良くなることや」と言われたことを覚えています。
当時は「なんすかそれ?」と思ってましたが、社会人経験を長くするにあたり、結局自分一人で仕事はできず、周りの助けがあって仕事はまわっているのを知り、そこで円滑に仕事を回すためには、日頃から良い関係を作ることがなによりも大切ということが理解してきました。
それは同僚のみならず、お客様に対しても同じことが言えると思ってます。その教えは、いまでもわたしの行動指針になっています。
2つ目のかは健康総務課という部署でしたが、そこで新しい上司に「仕事は市民の方をみて仕事しろ」と言われたことが今でも忘れられません。
というのも、市役所の仕事では内部(上司など)受けが良い仕事がありました。例えば、イベントを開いて新聞に載るなど、派手目な仕事です。
一方、本当に市民の皆様に有効な施策は地味なものが多い印象でした。
金沢市役所は職員が施策を考えて予算取りをし、執行するという仕事も多かったのですが、その際、当時の上司に「内部ではなく、市民の方を向いて仕事をしなさい。そうしないとうちらの存在価値はないから」と言われたのです。
その言葉も、仕事の本質をつく言葉だと思ってますし、わたしの行動指針になっています。
働きながら税理士試験挑戦時代
金沢市役所では、このように仕事に取り組む姿勢など、実に様々なことを学ぶことができましたが、「税理士を目指したきっかけ」で触れたとおり、市役所を辞めて税理士になろうと決意しました。
税理士試験は科目合格制度がとられていまして、1年で1科目づつ科目合格を積み重ねていけば合格できる試験です。
そういったこともあり、「まあ、大変だけどなんとかなるだろう」というわりと軽い気持ちで試験勉強に挑みました。結果的に「大変だけどなんとかなった」わけですが、その大変さは当初想像していたものよりはるかにつらいものでした。
試験挑戦当時はテニスやサーフィンなどをしてまして、土日は体力の続く限り外で遊ぶ!がモットーでした。
なので、試験中も、日曜日くらいは勉強を休んでリフレッシュできるだろう、と思っていたのですが、とてもそんな時間はなく・・
時間がなさすぎて、通勤時間(自転車通勤でした)は常にリスニングで勉強、お昼休みもサンドイッチをかじりつつ、リスニング勉強をしながら金沢城址公園をウロウロしていました。
歩きながらサンドイッチを食べていたので、たまに鳶にサンドイッチを狙われたりしましたねww。(一回ほんとに獲られました)
はたから見たら音楽聞きながら散歩していい感じだなって見えたと思いますが、実際はひたすら勉強をしていたわけで、他の人のことは見た目からじゃわからんよなーと思ってました。
試験中、それまで楽しんでいたサーフィンやテニスはまったくしなくなり、ランニングすらもほとんどしなかったので、一気に趣味がなくなりました。
その時代の唯一のこころのやすらぎが、出社前に見る連続テレビ小説でした。特にゲゲゲの女房が大好きで、いきものががりの「ありがとう」を聞くといまでも税理士試験を思い出すします。
一番思い出す光景は、出社前に歯磨きをしながらなにも考えずぼーっとゲゲゲの女房をみている時間。暗いトンネルの中での唯一のやすらぎでした。
そんな日々を耐え、税理士へ向け突き進んでいた時代です。
金沢市内の大手税理士事務所時代
暗黒の試験勉強時代を終え、税理士事務所へ転職しました。
転職当時32歳、新たな船出です。
当初、公務員と民間の違いに非常に戸惑いました。
入社して間もない頃、所長に「パン買ってきて」と言われ、わけもわからず近くのパン屋さんであんパンを購入し、経理の人にレシートを渡したらお金をもらえました。
これ、民間の人からするとなにを当たり前な・・と思われることですが、公務員の世界ではお金はそんなに簡単に支払うことは出来ず、何回か書類のやりとりを得てようやく出金出来るのです。
経費処理に限らず、全体的に仕事のスピード感がまるで違いまして、そのあたりの感覚に慣れるまでしばらくかかりましたね。
非常にしっかりした(厳しい)事務所でしたので、決算や申告の作成について非常に勉強になりました。
入所当初は自身の作成した決算書、申告書の所内チェックが通らず、辟易していましたが、おかげさまで品質の高い(税務調査で指摘事項の少ない)決算書類を作れるようになりましたし、今となっては感謝しています。
高山にUターン就職。大手税理士事務所勤務時代
大学時代から金沢で暮らしていましたが、長男ということもあり、地元に戻ることにしました。
金沢にすごく愛着があり、いまでも大好きな街ですが、生まれ育った高山市には金沢と同じくらい愛着はありますし、やはり「地元を捨てる」ということは出来ず。
というわけで、地元の大手税理士法人へ転職しました。
高山市で勤務していた税理士法人は、「会計の数字を経営に役立てる」ことに主眼をおいている事務所(いわゆる管理会計というやつです)で、非常に勉強になりました。
以前勤めていた事務所では考えもしなかったような「会計の力」を目の当たりにし、「税理士の仕事は申告書を正しくつくることは当然として、次のステージがあるんだ!」ということに気づかされました。
そして開業へ
高山市の事務所では非常に勉強になりましたし、責任の重い仕事も任されるようになりましたが、また少し違和感が出てきました。
というのも、勤務していた事務所には税理士が少なく、職務内容が他の担当者の税務相談や、申告書のチェックなどの比重が増え、また、担当先も大規模法人の割合がすごく増えてきたことでした。
私自身がやりたかったこととしては、個人事業主や小規模法人など、主にスモールビジネスをされている方の相棒として事業を支えていくことだったのですが、やりたいことと職務内容がずれてきたんですね。
そういった経緯や、年齢的に挑戦するなら時間がない、など、いろいろと考え、独立開業することとしました。
・家族について
妻と子供3人の5人家族です。
妻とは大学時代に知り合い、金沢で結婚しました。
けっこうアクティブな人で、サーフィンを始めたのは妻の影響です。
(最近は子育てもあり、そんなにアクティブじゃなくなりまりたがww)
新婚旅行は石垣島に行ったのですが、せっかくならスキューバダイビングのライセンス取っちゃおうぜ!と、新婚旅行でダイビングのライセンスを取得したり、突然「ハーフマラソン出るわ」と言い出し、練習を始めたりと、なかなか面白いです。
友達をつくるのがとても得意な人なので、うらやましいなー、と思っています。
子供は、長男が小学校4年生、長女が小学校1年生、次男が2歳です。
次男は高山生まれ高山育ちになりますが、長男、長女は金沢生まれ、金沢+高山育ちのハイブリットです。
金沢時代は、休みのたびに近くの公園に出かけて遊んでました。金沢市周辺は大きな公園がすごく多くて、子育てに最適でしたねー。
よく訪れたのは、県立野球場の近くにある西部公園や、野々市市の若宮公園、内灘町総合公園など。あと、公園ではないですが、海みらい図書館には相当通いました。
近未来な図書館で好きですねー。
高山市に来てからは、キャンプに連れて行ったりして楽しんでます。
・趣味
キャンプ
もともとサーフィン、スノーボードなど、アウトドア大好き人間だったのですが、高山市に戻ってからはもっぱらキャンプです。
キャンプって、こどもと一緒に遊べるアウトドアなんで、子育て世代におすすめのアクティビティですよね。
高山市周辺は良質なキャンプ場も多いですし、最近のキャンプ場は場内に温泉があったり、釣り堀があったりと、かなり手軽に楽しめるのも好ポイント。
今年も子供をつれだしてガンガンキャンプに行きたいと思います!
マラソンなど
マラソンなど、持久力系のスポーツが好きです。マラソンに限らず、色々なジャンルのものに出場したことがあります。例をあげると
・10キロ走
・ハーフマラソン
・フルマラソン
・ウルトラマラソン(50キロ)
・バイアスロン
・トライアスロン
・トレイルラン
・鈴鹿エンデューロ
などなど。
昨年はコロナの影響で参加出来ませんでしたが、例年は毎年3月くらいまでに目標の大会を決めて、トレーニングして参加する、というのをずっとやってました。
目的としては、目標の大会に出場出来る身体をつくりあげることです。
自分の性格的に、参加を決めたらそれに向けて行動しなくてはならない、と思うので、参加を決めたら時間を見つけて努力しなくちゃならんし、ちょっと嫌なんですが、トレーニングして、無事完走できると、その年の目標達成!みたいな達成感が味わえて、やめられないんですよね。
ちなみにトライアスロンに参加した際は大失敗しまして。
トライアスロンに参加した際、水泳の練習をプールでしかしたことがなく、海で泳ぐのはぶっつけ本番だったんですね。
結果、大会当日に海で泳ぎ出したら、ゴーグル越しに見えるどこまでも深い海に対してパニックになり、波もあり、クロールで泳ぐことができなかったんです。リタイヤも真剣に考えましたが、「あれ、平泳ぎなら水中で目を閉じても泳げるし、いけるかも?」と思い、とっさに平泳ぎに切り替え、なんとか泳ぎきれました。結果完走できたが、事前の準備の大切さを痛感しましたね。
サウナ
サウナが大好きで、頻繁に大きい銭湯に行きます。
サウナの師匠がいまして、その人にサウナの楽しみ方をおそわり、なるべくそれを実践しています。
①ぬるめの温泉で20分ほど体をあたためる
②その後サウナ12分、水風呂 というルーチーンを4回くりかえす
③熱い風呂、水風呂を交互に5回入浴する
という、かなり地獄なルーティンですww
僕はまだまだ修行中の身なのですべてのルーチンを完遂したことはありませんが、いつか完遂できる日がくるまで精進したいです。
・好きなたべもの
好きな食べ物は、チャンピオンカレーやまいもん寿司、国八のけいちゃんはすごく好きですが、中でも一番好きなのは「讃岐うどん(店舗問わず)」です。
わたしと讃岐との出会いは20年前、サイクリングで香川県に訪れたときまでさかのぼります。
その時初めて讃岐うどんを食べたのですが、あまりの衝撃に言葉がでませんでした。
なにしろ、讃岐うどんについてなんの知識もなく、なんの期待もせず食べたら、普通のうどんと違いすぎて、その落差にやられちゃったんですね。例えるならば、普通のママチャリとロードレーサーくらいの違いですね!
その感動が大きすぎて、いまでも好きな食べ物NO1に君臨し続けているのです・・
・心に刺さっている言葉
・何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから。
坂本龍馬の言葉です。挑戦する勇気をもらえます。
・おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり
高杉晋作の言葉です。 結局人生を楽しむのは自分自身の心のありようなのかなと思います。
・人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
徳川家康の言葉です。日々の努力の積み重ねが人生なんだということを気づかされました。
・僕は自分が嫌だと思うことは人に絶対にやらない
ある知人が飲み会の席でいった言葉です。わたしも見習おうと思い、心がけています。
・その他もろもろ
好きな作家
村上春樹
石田衣良
伊坂幸太郎
貴志祐介
米澤穂信
好きな漫画
宇宙兄弟
ジョジョの奇妙な冒険
ハンター×ハンター
嘘喰い
ゴールデンカムイ
サイクリングをして印象に残っているところ
北海道 美瑛町の畑 (まさにパッチワークの丘!)
青森県 奥入瀬渓流 (渓流とは奥入瀬のためにある言葉!)
岩手県 盛岡市で食べたわんこそば(自分の限界を知りました)
福島県 喜多方ラーメン(つかれた腹にしみわたる濃い目の味)
長野県 美ヶ原高原(自転車で登った後に眼前に開く緑の草原!)
静岡県 富士山(ご来光はやはり格別)
和歌山県 谷瀬の吊り橋(恐怖度ナンバー1な吊り橋)
和歌山県 白浜海岸(本当に白い!びっくりしました)
兵庫県 姫路城(日本が誇る美しい建造物)
香川県 讃岐うどん(筆舌につくしがたいうまさ)
高知県 桂浜(坂本龍馬に思いをはせる)
高知県 四国カルスト(草原+岩の奇景。すごくいい)
広島~愛媛県 しまなみ海道(サイクリングの醍醐味わえる)
熊本県 エル・パティオ牧場(ナウシカみたいな世界観)
熊本県 阿蘇山(火星みたい)
熊本県 熊本城(石垣の造形美)
宮崎県 高千穂(風流な場所ナンバー1)
鹿児島県 指宿の砂蒸し風呂(じっくりといやされよう)
鹿児島県 屋久島(神様住んでます)